efudeji’s diary

インドア派オタクの雑記

死刑より合理的な手段ってあるの?

最近話題の以下の記事。

ポイントとなるのは「死刑」と「再犯率」です。これらについて色々思うことがあるので、急遽ブログ作りました。

headlines.yahoo.co.jp

 

コンクリ殺人事件の詳細はwikiを読んでもらうとして、単刀直入に、私はこの犯人たちはもう死刑で良いと思っています。

なぜかって、それが一番合理的だからです。

 

順を追って説明します。

 

彼らの命を一度救った『少年法』は「厚生の可能性」を信じることが根源にあります。ですが、そもそも「厚生」とは何をもって判断されるものなのでしょう?再犯率でしょうか?

私は、「狂っていた心の歯車が正常に戻った」と証明できて、初めて「厚生した」と言えると考えています。しかしながら、現代科学に心を数値化できる術はありません。

質疑応答形式で、”それとなく”計ることはできますが、いくらでも嘘が付けてしまう以上、信用にたる計り方ではありません。

つまるところ、私の定義をベースに考えると、世の中に「厚生した」と言える重罪犯はどこにも居ないわけです。実際問題、他人の心の内が見える人なんて世界のどこにもいないですよね。

 

だからこそ、社会は元重罪犯の社会復帰を受け入れるのが難しい。心を可視化できない以上、その人が本当に反省をし、信頼して仕事を任せられるかが未知数だからです。

犯した罪が殺人だったならなおさらですね。

 

故に私は死刑に賛成です。

死刑を言い渡されるほどの重罪犯(≒殺人)を受け入れられる社会の土台が無い中、放り出された元重罪犯がまともな生活を送れるとは思えません。

ある人はまともな職に就くことも出来ず餓え、ある人はまた悪の道に戻ることでしょう。そして、何より社会は元重罪犯が解き放たれた事実に不安を覚えます。

信頼がすべての人間社会において、他人に不安を覚えながら生活をするのは、全ての人間にとってマイナスにしかなりません。

さて、この中で誰か1人でも幸せになれますか?

 

ハッキリ言って、元重罪犯を受け入れるための案も出さず、盲目的に「死刑反対」だけを騒いでいる連中は最も邪悪な存在です。

本当に誰も幸せになれない。己が救おうとしてる犯罪者達すらも無意識に不幸へ導いている悪魔のような連中です。

 

私は、この先科学が発展し、心の正常さを数値化できるようになるまでは死刑制度を残すべきだと考えています。

前述したとおり、解き放たれる元重罪犯の視点で見ても、解き放たれる社会に住む いち一般人の視点でみても、これほど合理的な手段はないと思うからです。

 

もう一度いいますが、その人の再犯率うんぬんはあまり意味がありません。

再犯しないことと、心が正常に戻り、信頼できる人間になったと判断出来るかは必ずしもイコールじゃ無いからです。

心が目に見えない以上、再犯こそせずとも、日々沸き起こる殺人衝動を必死に噛み殺して生活している可能性だって十分考えられます。もちろん、本当に心の歯車が正常に戻っている可能性だってありますよ。ありますが、それも同じく目には見えません。

つまり、一度大きすぎる罪を犯してしまった以上、現代科学を持ってして信頼の回復は不可能なんです。

 

今後科学が発展し、「厚生した」ということを科学的に証明できるような世界が来たら、その時は私も死刑反対になるかもしれませんが、それまで私は死刑賛成の立場を崩すことはありません。

それが今の社会においてもっとも合理的で、リスクの少ない手段なんですから。